私の場合、よく分かんないからこの件で本を書こうというのがとっても多い。
分かって書くんじゃない。分かんないから書く。
体が分かるということを欲していて、その体がメンドくさがりの脳に命令する。
「分かれ」と。
実際作物の創作心理から考えてみても、考えていたものがただそのままに機械的に文字に書き表わせるのではなくて、
むしろ、紙上の文字に現れた行文の惰力が作者の頭に反応して、ただ空で考えただけでは決して思い浮かばないような潜在的な意識を引き出し、それが文字に現れて、もう一度作者の頭に働きかけることによって、更に次の考えを呼び起こす、というのが実際の現象であるように思われる。
肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。
君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを、少しもゴマかしてはいけない。
そうして、どういう場合に、どういうことについて、どんな感じを受けたか、それをよく考えてみるのだ。
そうすると、ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、繰り返すことのない、ただ一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることがわかってくる。それが本当の君の思想というものだ。
コメントをお書きください