読書法は、濫読せよという説があり、私もこの説に大賛成である。
言葉を変えれば、好奇心を失うなということになるだろうか。
濫読のいいところは、書物のほうで自分の資質を教えてくれるということである。
自分がどの方向に進んだらいいかということは、多くの分野の書物を読んでみなければ絶対にわからないのだ。
読書について、一つだけはっきり言えることは、ある程度以上の量を読むということが、決定的に重要だということです。
質というものは、量をこなしたうえでおぼろげながらつかみとれるものです。
そのためには絶対量というものがどうしても必要なのです。
良い本は読者にとって難解である。
難しいくらいの本でなくては、読者にとって良い本とは言えない。
そういう本に向かって読者は背伸びをし、自分をそこまで引き上げなくてはならない。
本は、すでにテキストが入ってるノートなんです。
枝をあちこちからくわえてきて小鳥が巣をつくるように、一冊、また一冊と本を買ってきて、
それで自分のまわりを飾り、自分の精神の巣を作るわけである。そうすると、そこに自分の世界ができあがる。
本が多くなると、とうぜん部屋は狭くなる。しかし、わが心の世界は広くなってゆくのである。
書物なき部屋は、魂なき肉体の如し。
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