読むことを覚えるということは、社会が教育を通じてその成員に強制する行為である。
しかし、読書に没頭するという行為のなかには、これよりもう少し深い意味が隠されている。
つまりそれは、なにがしかの危機の自覚から生まれ、それを乗り越えようとする、
自分にも充分には意識されていない意欲に結びついた行為である。
したがってそれは、決して受け身ではありえない。
むしろ、能動的で積極的な精神の営みであり、生きる意志の反映だとさえいえるのである。
本を読む楽しみも、読む修練をしなかった人には無きに等しい。
各自が自分の楽しみを獲得しなければならないのである。
それどころか、努力を重ねて自分自身から楽しみを引きださねばならないのだ。
おそらく、大部分の人間にとって、読書は旅なのではないかと思う。
彼らにとっての本とは、冒険の旅へといざなう翼、
まるで自分のもののように思える夢へといざなう翼なのだろう。
どのようなものであれ、良書を読むことは、その著者である過去の時代のもっとも優れた人たちと会話を交わすようなものである。
100冊の本を読むことは、100人分の人生の豊かな人生経験と知識を
自分にインストールするのと同じと言っても良いでしょう。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。
よい文章を書く基本は読書にあると考えている。
書く修練を積んでいなくとも、読んでいれば、必要なときに書くことができる。
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